遊びの読書

遊びの読書

本と漫画を読みながら、考えごとをまとめるブログ

「男の浮気は本能だからしょうがないよ~」を黙らせようと思う。

f:id:yebypawka141421356:20190317224136j:plain

 
先日部長が離婚しました。

 

二回目

 

飲みの席で問い詰められた部長は、離婚に至る経緯を説明しながら苦し紛れに「浮気は男の本能だからしょうがない!」

 

この言葉に他の男性陣がうんうん頷いていて釈然としなかったので、この場を借りて彼らを黙らせたいと思います。

 

それではどうぞ!

 

論点の整理①持って生まれた特性(本能)

 

 もともと男性の方が性欲が強いのは何となく分かります。そういうお店も女性用より圧倒的に多く、一つの産業になっていますので、女性の想像が及ばない衝動もあるのでしょう。

 

そうなると、人は持って生まれた自分の本能にどこまで責任を持つべきなのかという話になってきます。

 

どこからが「これはしょうがないものだから理解して許してね」の対象になるのでしょうか?

 

論点の整理②育った環境

 また、人間の人格や取る行動を決定しているのは、本能だけではありません。

 

どういう人間であるかは、

持って生まれた特性が50%

育った環境が50%

と言われています。

 

例えばニュースを見ていて

 

強盗犯の弁護士によると、彼は非正規労働者として働いていたが、1年前にリストラに遭い…

ヘイトスピーチに参加している女性の一人に話を伺うと、彼女はシングルマザーで…

 

といった話を耳にしますよね。

 

善良な人でも環境によっては犯罪を犯します。

浮気性な人に言わせれば、「君が相手をしてくれなかったから」でしょうか?

 

先程の話とまとめると以下のようになります。

 

論点:持って生まれた特性や育った環境(今現在を含む)は、本人が犯した罪の免罪符になるか?

 

しょうがない気がしてきた

 実はこの問題は浮気論争の前に私が悩んでいたことの一つでした。

<特性>もし強い本能を生まれていたら。

<環境>今の状況では強盗をしようなんて思わないけれど、ニュースの中の人と同じ環境になれば、私も誰かを傷つけないと言い切れるか。

 

置かれた状況次第で、自分もいつだって加害者側になり得ます。

 

本能や環境に責任があるのならば、本人達はむしろ被害者とも言える気がしてきました。

 

しかし同じ特性、環境に置かれた人でも、本能や環境に左右されず、正しい行動を取る人もいます。そんな人と取らない人の違いは何なんでしょう。

 

一線を越えないために必要な「何か」が分かれば、彼らを黙らせられるのに。

 

そして、自分も本能や環境に影響されず、誰かを傷つけずない行動を選択する事ができるのに。

 

人間を人間たらしめるもの

人間の心がどういう状況で一線を踏み越えてしまうのか、心理学の本を読んだりしてみましたが、なかなかな納得のいく答えを出せずにいました。

 

しかし、 たまたまSFが読みたくて手に取った小説の中に、その明確な答えがあったのです。

 

以下抜粋 

 「でも、ぼくのなかに女性を強姦してしまう遺伝子があったとして、きみをめちゃくちゃにしてしまったら、それは遺伝子のせいじゃないのかい。」

 

「ぼくが子供のころ虐待を受けて、その結果、愛情や利他行為というものの価値をじゅうぶん認識できなくなって、シリアル・キラーになってしまった場合、それは育った環境のせいじゃないのかい。」

 

 

「それは違うわ。人は、選択することができるもの。過去とか、遺伝子とか、どんな先行条件があったとしても。」

 

「人が自由だというのは、みずから進んで自由を捨てることができるからなの。自分のために、誰かのために、してはいけないこと、しなければならないことを選べるからなのよ。」

虐殺器官(伊藤計画)

 

人は持って生まれる特性や育つ環境を選べません。だから、そこには本人の責任はありません。

 

ですが、それらを持った上で何を選択し、どのように行動するかは本人の責任です。

 

どんな特性があろうと、どんな環境にいようと、それらに影響されようと、最後に人間の行動を決定するのは本人の意思なのです。

 

理不尽ですが、同時に希望でもあると思います。

 

「なんだよ、結局意思かよ」と思われるかも知れませんが、それこそがその人をその人たらしめる決定的な「何か」です。

 

それはハリーポッターの組み分け帽子と同じ。どんな素質があろうと、どうありたいと思う本人の気持ちで、人は形作られているのです。

 

つまり何が言いたいのかというと、

 

最終、浮気を行動選択したのは、本能でも何でもなく部長の意思です!

よって有罪!!

 f:id:yebypawka141421356:20190317142752j:plain

https://youtu.be/TXzfQ0cP1P0

 

最後に『シャンタラム』の主人公と友人の会話の中に、カエルとサソリの話が出て来るので紹介します。

 

「本能だから~」の理論が、どれだけ意味不明なものであるかお分かりいただけるかと思います。

 

カエルは刺さない約束をした上で、サソリを背中に乗せて一緒に川を渡ることにします。

しかし、川の中腹まで来たとき、サソリは毒を持つその尻尾でカエルを刺しました。

カエルは溺れながら、なぜ刺したのかと尋ねます。

「僕を刺したら君も溺れてしまうのに!」

サソリも溺れながら、こう答えるのです。

「俺はサソリだぜ。刺すのが俺の性じゃないか」

シャンタラム(グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ)

 

【まとめ】浮気ダメ、絶対

本人の名誉のために書いていきますが、部長は大変な人格者です。

 

6チーム何十人の人員を率いており、本人も仕事ができて、人望もあります。

 

目の行き届く人で、新入社員の私のことも気にかけて下さり、今まで何度も助けてもらいました。

 

まあ、ただ結婚不適合者なんですね。残念なことに。

 

「本能を意思の力で抑える」ところまで約束するのが結婚です。

 本能だから~と開き直るなど言語道断です。

 

それでも浮気をやめられない人は、イスラム教に入信してインドネシアで暮らしてください!!!!!

 

以上!!