どうして結婚しないの?と聞かれる本当の理由
親や職場の人間に言われる、
「どうして結婚しないのか」
「どうして子どもを産まないのか」
うざいですね。いやいやうざすぎる。
なぜ自分の人生を、こんなにも他人にとやかく言われるのでしょう。
それは、みんなが「普通」であることが社会の維持に不可欠という事が深く関係しています。
「どうして結婚しないの?」に類する言葉はみんな、普通側の人間からの「あなたは今、異常ですよ」という注意勧告なのです。そこには軌道修正を促す意味が隠れています。
「あなたは果たすべき役割を果たせていません。それでは幸せになれませんよ」と言われているのです。
余計なお世話の叩き売りか何かか?
どうしてこんなことが起こるのかご説明していきます。
「あんなに結婚結婚言われるのは、こういうことだったんだな。」
という理解に繋がれば幸いです。
そして後半は、
「結婚し、子どもを持つこと」ひいては「周りからの承認」だけが人の幸せか?
自分の幸せを貫くことが、幸せへの1番の近道ではないか?
ということについても考えてみます。
社会はどのように維持されているか
マリッジハラスメントとして問題視されるほどよく言われている言葉なら、そこには何か理由があると考えられます。その理由を探る前に、まず社会がどのようにできているかを考えてみましょう。
社会の仕組みを理解する上で、分かりやすい例がコンビニです。
コンビニでは日々、人が商品を買い、新しいものが入荷されることをくり返します。
それは店員も一緒です。店員だった大学生が4年生になってバイトを辞めても、また新しい大学1年生が来て働く、をくり返しますね。
しかし、商品や店員が変わってもコンビニは一定です。物自体は入れ替わっていても毎日棚には同じ商品が並び、人が入れ替わっても店員はずっと存在し続けます。
これは会社も同じです。誰かが退職しても、他の人がそのポジションに就く。誰かが辞めても新しい社員が入ってきます。
これって世界そのものなんですよね。
人間も、生まれては死ぬので個体としては入れ替わっています。ですが20代、50代のような「世代」はずっと存在し続けます。そして常に人間がいる状態、つまり社会が保たれています。
全のために果たすべき役割、それこそが「普通」
「全は一、一は全」
という言葉をご存知でしょうか?
簡単に説明すると
「全は一なくして存在し得ない。自分が生きているという事は、世界を支えていることと同義である」みたいな意味になります。
人間は、この「全体の一部として自分が役目を果たせている」ことに喜びを見い出す生き物です。
しかし、この全を形成する一である為には「普通」であることが必要になります。
20歳くらいまでは学校に行き
20~22歳くらいで就職。
25~35歳で結婚し、子供を産み
60歳まで働き…
人間が一定して存在し、社会を作るために、だいたい何歳でどのライフステージにいるべきかが既に決められています。それこそが「普通」です。
「普通」であることを幸せと感じる。それは人類を一定に保つために機能的に働いているのです。
余計なお世話の正体
ここで冒頭の「なぜ余計なお世話が起こるのか」に話が繋がります。
「どうして結婚しないの?」は誰から言われるのでしょうか。
恐らく、
①親を含めた、既に結婚している人
②子ども~25歳くらいの若い人
の2つのグループからでしょう。
①は結婚適齢期に結婚している=「普通」
②の世代もまだ大半は結婚しておらず、結婚していないことが「普通」ですね。
そんな「普通」側の人達が、結婚適齢期なのにまだ求められているライフステージに進んでいない人を「異常」と判断して「どうして結婚しないのか?」と言っているのです。
コンビニで不良品がはじかれるように、
適齢期なのに結婚していない
女なのに子どもを産まない
彼、彼女らは不良品として糾弾されます。
全の為の一になれていないぞ、と修正を促されます。
あれらの言葉は社会を維持するため、一としての役割を果たすように促す「警鐘」という機能を担っていると言えます。
「どうして?」と言われて苦しいのは、言外に「あなたは異常だ」と言われているのを感じるからなのです。
「社会の一部として役に立つこと」それだけが人間の幸せか?
しかし、本当にそれだけが人の幸せでしょうか?
『大奥』(よしながふみ)6巻の中に、こんなセリフがあります。世継ぎを産む役目に縛り付けられた将軍に向けられた言葉です。
…生きるという事は 男と女ということは!
ただ女の腹種を付け、子孫を残し、家の血を繋いでいく事ではございますまい!
彼女は周囲の期待通りに子どもを産めず、故に苦し抜き、政治も荒れて人から憎まれます。
そして晩年こう呟く。
「私は結局、この世で何ひとつ後の世に繋ぐことができなかった。人に望まれたことは何一つできなかった」
ずっと役割に縛られ、周囲の望みを叶える為だけに生きてきた彼女を、"生きるという事は"の言葉が解き放つのです。
それから自分の幸せを見つめ、ようやく自分の人生を歩き始めます。
「普通」でなければ、
周りに認められなければ、
役に立たなければ、
人は幸せになれないのでしょうか?
そうではありません。
確かに、親の喜んでいる顔を見ればあなたも幸せを感じるかもしれません。
しかし、望まれている幸せと自分の幸せが一致しないのなら、自分の幸せを優先すべきです。
「普通」でいることは確かに幸せですが、その普通になれないのなら、あなただけの幸せを追いかけるべきです。
たかが、人間を維持するための入れ替わりのひとりなのです。もっと独りよがりな幸せが許されたっていいはずです。
まとめ
お気づきの方もおられるかも知れませんが、村田さやかの『コンビニ人間』を読んでいて気づいた事や考えた事をまとめました。
『コンビニ人間』も、普通になろうともがく「異常者」の物語です。
主人公ほどではないでしょうが、誰だってみんな普通になり切れない部分を持ちながら、普通のふりをして生きていると思います。
どうかあなたが「普通」を振りかざす他人に、自分の人生に土足で踏み込まれても、自分を守れますように。
傷つかないで、他人の為に生きるより、自分の為に生きられますように。